過屈曲症候群- 橈骨神経の広背筋腱での絞扼神経障害~三頭筋のマヒの治療から~

先日出場したウエイトリフティングの大会で興味深い症例に出会った。相談者は40歳の男性Aさん。
Aさんはリフティングの腕前もスコアも、私よりもずっとずっと上の方。そのAさんが、この日はらしくない重量で試合をしていた。

不思議に思って聞くと「ここ半年、左の三頭筋に力が入らない」のだという。拝見すると、Aさんの三頭筋は萎縮が始まっており、一見して分かるほど細くなっていた。どうやら筋のマヒ(不全麻痺)を生じているようだ。

Aさんの語る事の顛末はこうだ。
半年前にセカンドプル(※1)の強化のためにダンベルスナッチ(※2)に取り組んでいたところ、次第に三頭筋が痛むようになり、だましだまし練習を続けてきたが力が入らなくなっていった。そして半年がたった今、Aさんの左上腕三頭筋はいまだ力が入り切らず形態的な左右差が見られるまでになってしまった。

三頭筋は橈骨神経という神経に支配される。橈骨神経は頚神経の5~8番の神経線維と胸神経の1番で成りたつ神経だが、三頭筋へ向かう主要な要素は第七頚神経となる。Aさんの話を聞きながら私は、頸椎部(C7神経根)での故障よりも、末梢(橈骨神経)での故障を思い浮かべていた。

※1【 セカンドプル 】ウエイトリフティング用語。バーベルが膝上に達したところから加速しながら股関節を通過するまでのフェーズ。
※2【 ダンベルスナッチ 】片手でダンベルを床から頭上に一気に持ち挙げるエクササイズ種目。腕を頭上に振り上げる動作の反復をイメージしてほしい。

ウエイトリフティングにおける「セカンドプル」のフェーズ1
ウエイトリフティングにおける 「セカンドプル」のフェーズ1
ウエイトリフティングにおける「セカンドプル」のフェーズ2
ウエイトリフティングにおける 「セカンドプル」のフェーズ2

「ダンベルスナッチをしていて」という話だったが、初めは橈骨神経のマヒにありがちな「深酒をして隣の椅子にもたれて眠る」などのエピソードを疑っていた。しかし、話を聞く限りそうしたエピソードもない様子。

図版引用:『GRANT’S atlas of anatomy』 Lippincott Williams & Wilkins

また、仮にこの手の橈骨神経のマヒならば、同じく橈骨神経に支配されている手首の伸筋も麻痺を呈していておかしくない。もしそうであれば、お化けの手のように手が垂れる「下垂手(かすいしゅ)」という症状も伴うはずだ。しかし、「半年前には下垂手があった」といった話も無く、診察時も手首の動きはいたって正常だった。

こうなると三頭筋単体のマヒを考えることになる。
さらに詳しく聞いてゆくと、一年ほど前に左の首の付け根をひどく痛めたというエピソードに行き当たった。

Aさんは左胸鎖乳突筋に先天性斜頚を持っている。この特徴のせいで、Aさんの下位頸椎、左椎間関節は常に強い圧迫にさらされている。こうした状況が続くと関節は傷つき変形し、その過程で頚神経も損傷を受けやすい。頚の故障のエピソードを聞くと、今度は一転して橈骨神経としてまとまる前の段階、つまり頚椎症性神経根症のような頸神経の故障の線が疑わしく思えてくる。

前腕の伸筋の中で第7頚神経が支配する指伸筋(指を反らせる働きのある筋)の働きが落ちていた可能性はあっても、第6頸椎が支配する長短橈側手根伸筋(手首を反らせる働きのある筋)なんかの働きが残っていたために下垂手が現れなかった、といった筋も考えられる。これならば「下垂手」の現れなかったことの説明も付く。

しかし、指の伸筋を調べてみても筋力低下は診られなかった。そして、スパーリングテストによる症状の再現(放散痛)もない。こうなると頚椎症性神経根症の線も根拠としては弱くなる。

『もしかして、頸椎部の損傷自体は癒えてしまっていて、麻痺は後遺障害として残ったものなのかな?』とも考えなくはなかったのだが、首を痛めた1年前から腕の力が入らなくなった半年前では半年のブランクがあるし、目の前のマヒの様子からも首の動きで症状の再現がないのはちょっと不自然といえる。

やはり頚椎症による筋力低下というには決め手に欠けると考えた。

さて、困った…
とはならないのが徒手医学の面白いところだ。

ここでちょっと脱線。
治療では「評価」が重要になる。
病歴から聴取できた発症の背景と実際の所見を照らし合わせた上で病態を読み解いてゆく。多角的に観察と考察を重ね、全容を把握した上で判断を下すことが重要だ。
一つの現象だけで判断するのは誤診の元。全容を把握するまで結論は急がない方が賢明だ。

さて、話を戻して。
ここまでの調べで判ったのは「どうやらまだ何かAさんの症状を読み解くには情報が必要なようだ」ということ。

上腕の外側での問題も頸椎での問題も見られなかったことから、今度はその二つの間、神経の経路上に何か問題がないか調べを進める。

私はAさんの肩の動きを調べてみることにした。すると広背筋の腱の部分に顕著な制限を発見した。触れると三頭筋にしびれが広がると言う。
このリアクションは、絞扼神経障害(神経が締め付けられて生じる障害)において神経線維が傷ついている部位によく見られるもの(チネル徴候)だ。

これでAさんの三頭筋のマヒには広背筋が絡んでいることが分かった。この時、私の頭の中にはおぼろげな解剖図が浮かんだ。

『たしか橈骨神経は広背筋腱の前を通り過ぎたような…』

でも、広背筋の腱が三頭筋に向かう神経線維だけを狙い撃ちするなんてタイプの故障は聞いたことがない。しかし、状況証拠は広背筋腱での神経障害があると言う。試しに広背筋の緊張を解いてみると、Aさんの三頭筋は力を取り戻していった。

これを「治療的診断」というのだが、手を入れた後の反応もAさんの故障の原因はやはり広背筋腱部での絞扼神経障害であることを物語っている。ここまで来た時にようやく気が付いた。

『これは過外転症候群の広背筋版だ』。

過外転症候群は小胸筋という筋肉による尺骨神経の絞扼神経障害だが、「つり革をつかむ」など上肢を大きく横に開いたポジションによって生じる神経障害だ。周知の通り、小胸筋は胸の筋肉でなので身体の前面についている。だから腕を横に開くことで尺骨神経を圧迫する。しかし、広背筋は身体の背面につく筋だ。ゆえにそのポジション(外転)では神経を締め付けはしない。

しかし、屈曲ではどうだろう?
Aさんは発症時、ダンベルスナッチで腕を前へと振り上げる動作を繰り返していた。この動作であれば広背筋で橈骨神経を締め付けても不思議はない。発症のメカニズムから言えば「過屈曲症候群」と言えそうだ、と、そう考えた。

しかし、それでも三頭筋に生じた単マヒの説明が明確になったとは言えない。その点に関しては解剖学の資料を見てみないと結論が出ないせなかったのだが、それでも結果から類推すれば『橈骨神経の本幹から三頭筋への分枝が広背筋腱のあたりにあるのだろう』と考えることができる。

試合会場ではその先を確認しようもなかったため、そこまでの理解となった。後日、解剖のテキストで確認すると根拠となる記述が発見できた。

図版引用:『GRANT’S atlas of anatomy』 Lippincott Williams & Wilkins

図を見ると「Radial narve:橈骨神経」の本幹から上腕三頭筋へ枝分かれした細い繊維が見事に広背筋の腱を横切っている。その細さゆえに、物理的な刺激にも弱かったのだろう。 これであれば三頭筋だけにマヒを起こす原因として十分だ。

話をまとめよう。

結論としてAさんの症状は、ダンベルスナッチに伴う上肢の屈曲動作の反復が広背筋の腱で三頭筋を支配する細い神経繊維を反復性に傷害(RSI)したことで起きた「上腕三頭筋の麻痺」であると考えて間違いない。

更に深読みをすれば、Aさんの「首の付け根をひどく痛めた経験」も今回の故障に絡んでいる可能性もある。『ダブルクラッシュ』という言葉を耳にしたことがあるだろう。神経線維は複数個所で締め付けを受けた場合、個々の締め付けでは神経症状を起こさない程度のものであっても神経症状を生じることがある。それが「ダブルクラッシュ」だ。

Aさんのケースで考えると、1年前の「首の故障」というエピソードで第7頚神経のダメージが残っていたところにダンベルスナッチをやりこんだ。頸椎部でのダメージに加え、脇下でのダメージが重なった。そのため、より容易に「麻痺」という大きな症状に繋がった、という可能性もあると考えることができる。

左右交互に「ダンベルスナッチ」を練習していて左にだけ麻痺がおこったことを踏まえればそう考える方がむしろ自然かもしれない。その「可能性」たちも踏まえれば、「Aさんを治療する上では頚部の問題も考慮しておいた方がよさそうだ」ということが分かる。

それを踏まえ、Aさんの治療には広背筋腱部への介入に加え斜頚への対処も併せて行った。施術を終え、さらにセルフケアを伝え、この日の治療を終えた。

結果として、この症例は私にとって非常に良い学びをもたらしてくれた。相談を受けた時には広背筋が三頭筋の単麻痺を起こしていようとは考えもしなかった。
Aさん独自の背景要因(斜頚や頚椎症の既往など)があったとはいえ、今まで考えもしなかった「過屈曲症候群」ともいえる故障のメカニズムに出会えたことは大きな収穫だった。

臨床ではこうした発見がたくさん転がっている。それゆえに、私たち臨床家は現場を離れたらだめだと思う。私は臨床家は現実と向き合えてこそ力を発揮できるし成長もできると考えている。知識先行の頭でっかちでもいけない。しかし、根拠を持たない独りよがりもいけない。

私たちの学びは書物に記された2Dの情報を臨床を通じて3Dの解釈に落とし込んで初めて完成されるものなのだと思う。 そのことを忘れずに、これからも臨床と向き合 ってゆこうと思えた印象深い症例だった。

(文責:非営利型一般社団法人徒手医療協会 代表理事古川容司)