給食センターで調理のお仕事をされているAさん(60代男性)。数年ぶりに寄せられた相談は、両側の足の裏のチクチクとした痛みだった。かれこれ3か月も足の裏の痛みが続いているのだという。給食センターでの仕事は靴底の硬い長靴を履いたまま長時間立ちつづける力仕事で、同僚も時折同じような症状を訴えることがあるという。
Aさんの足裏を診ると、土踏まず以外が赤く、少し膨れていた。これを診て『単に底の硬い長靴での立ち仕事がたたって足裏が腫れたんじゃなかろうか』と思ったが、Aさんはどうにも納得のいかない様子だ。もう少し様子を聞いてみると、お父さんの口から気になる症状が飛び出した。
- このところ疲れが抜けない
- 足がつる
- 足がむくむ
- 去年から急に太った(体重が10kg増えた)
- お酒は大好きだけど、最近量が飲めなくなってきた
疲れが抜けなくて筋肉がつる…。足がむくんで困っている…。お酒はよく飲むが飲めなくなってきた…。「飲まない」のではなくて「飲めない」という点が引っかかる。
体重が増えたというけれど、数年前と比較して10kgもの脂が付いたようには見えなかった。おなかを触ってみると皮下脂肪はさほどでもなく、腹腔が水風船のように膨れていた。
すぐに頭の中で学生時代の病理学の授業がフラッシュバックした。たしか、こうしたお腹を「蛙腹」と呼んだはず。続いて「低アルブミン血症」「浮腫」といった単語が泳ぎだす。そして「アルコール性肝炎」「肝機能障害」「腹水」「門脈圧亢進」という単語が脳裏に不気味にちらつく。ぐるぐる回る単語たちの向こうに「肝硬変」の文字が浮かんでいた。
肝硬変では消化管からの血流が硬くなった肝臓を通れずに滞るため、腹水がたまり手足に浮腫を生じる。そうすると太って見えないのに体重が増える。この状態を門脈圧亢進といって、消化管の静脈がパンパンに膨れて食道静脈瘤の破裂の危険性も高まってゆく。肝臓の働きである解毒作用がうまく働かなくなれば筋痙攣も起こしやすくなる。
そんな私の疑念を感じてか、「足の痛みが内臓からくるってことあるかなぁ?」と、しきりに聞いてくるAさん。おそらく、ご自身の飲酒歴から肝臓を心配しているのだろう。
当然のことながら、私は医師ではない。検査もできなければ診断権もない。だが、私たちの職域であっても時に進行性の疾患との判別(つまり、自身の職域で対応していい疾患であるかの判断)はしなくてはならない。
徒手医学では、通常、内科的な疾患の影響が筋骨格系に及んだ場合、手技療法のような治療では改善が得られないと言われている。その証拠に、食道炎の影響で起こった首の付け根(襟の高さ)の強いこり感は、手技療法や鍼灸治療でも一瞬症状の緩和が得られるも、ものの数十秒で戻ってしまう。そうした反応を見たときは、首の付け根のコリの原因が内科的な問題で引き起こされていたと判断が付くケースもある。これを「診断的治療」という。
こうしたときは胃薬を飲んでもらうとしつこいコリもスッキリ治ってしまう。こうした理由から、Aさんの足の裏の痛みが徒手的介入によって消えるのか治療的診断の実施を試みた。 Aさんの足の痛みは下腿の循環障害によるうっ血と浮腫が原因と考えられる。血流を滞らせているのが単にふくらはぎの緊張であれば、緊張を解けばかかとの痛みは消えるだろう。門脈圧の亢進であれば消えないかすぐに戻るはず、と考えた。
私は治療としてかかとにある失眠というツボと土踏まずの先端にある湧泉というツボにお灸を施した。かかとへの灸は腓腹筋という筋肉の緊張緩和を狙ったもの、湧泉への灸は腓腹筋の下の深層筋の緊張緩和を狙ったものだ。その結果、足裏の痛みは消失した。すぐに再発する様子もない。
では、Aさんの肝臓は問題ないのだろうか。いや、そうとは限らない。諸症状を俯瞰すればアルコール性肝炎の可能性も否定できない。肝機能が低下していれば浮腫も起こる(低アルブミン血症)し、筋痙攣も起こる。さらに言えば、内科疾患の影響によって生じた整形外科的障害(症状)に対して、徒手医学的アプローチを施すことによる身体のリアクションの話はあくまで一般論であろうし、個々の状況を考慮しない訳にはいかない。
個々の状況によっては「手技療法で消える痛みだから内科的疾患ではない!」とは言えないケースもあるはずだし、今までも実際にそうしたケース※に遭遇したこともある(※末期のすい臓癌の疼痛の緩和を依頼されたことがある。このケースでは筋膜リリースにて疼痛の大幅な緩和を引き出すことができた。しかし、当然のことながらすい臓がんが治ってのリアクションではない)。
得られた所見を見渡して肝機能障害が疑わしいならば、やっぱり検査をお勧めするべきと考え、病院機関できちんと検査をお受けいただけるようAさんを説得した。
後日談。
心配していた「肝硬変」ではなく「脂肪肝」だったということで、一先ずはほっと胸をなでおろした。しかし、肝機能の低下はあり、肝硬変の前段階ではあったのでしっかりと養生しなくてはならない。まずは食事制限からとなるようだ。飲酒も控えることになるだろう。
仕方のないこととはいえ、いままでお酒を豪快に飲んできたであろうAさんがいささか気の毒に思えなくもない。足の裏の痛みの相談から内科的な問題を見落とさずに対処できたこと自体はよいことだったと思うが、本人に取っては諸手を挙げて喜べる状況とはいいがたい結末に、妙な居心地の悪さを感じた症例となった。
(文責:非営利型一般社団法人徒手医療協会 代表理事古川容司)