ころばぬ先の杖~介護予防の現場に学ぶ、運動療法の可能性と運動のもつ治療的意義~


徒手医療協会WEBでは、身体機能の回復と再構築を追究する、新たな視点とその実践をインタビューや対談形式で紹介しています。今回は、高強度の運動プログラムで有名な「CrossFit クロスフィット」の指導から、地域社会に密着した「介護予防」の運動指導まで、現場でマルチに活躍されている辻本諭先生にお話をうかがいました。

転ばぬ先の杖~介護予防の現場に学ぶ運動療法の可能性~ 辻本先生の指導対象は、屈強な肉体を誇るアスリートから、日常生活の中では運動機会の少ない低体力の高齢者までと多岐にわたっています。
身体能力のオールラウンドな機能強化に着目し、多様で高強度のワークアウトを通じて「揺るぎない健康」の獲得を目指す「クロスフィット」は、選手や愛好家が世界中で活躍している近年話題の高強度フィットネスです。
そして、介護予防事業における高齢者への運動指導も全国的なニーズだけでなく、普遍的に普及と発展の求められるフィールドです。特に介護予防の現場では、近い将来に自立した日常生活を送ることが困難となるであろう高齢者を「被介護生活」から遠ざけ、身体機能の喪失を阻止しながら日常生活を維持し、自立を強化することのできる運動指導プログラムの実践が急務とされています。
一見かけ離れた二つのフィールドですが、そのいずれでも活躍されている辻本先生は、その活動の意味と目指すゴールは、まさに「人生を終えるその日まで、自立した日常を送っていただくこと」にあると言われます。対象者の年齢や生活パターンのまるで異なる現場で、辻本先生はどのようにそのゴールへの道筋を描いて指導を組み立てているのでしょうか。それには、ひとつの軸となる切り口があると言います。
それは、「ヒトとしての機能の回復・維持・開発・強化」という視点で運動指導のプランを組むこと。これにより、体力的にはまさに対極ともとれる両対象者へも同じ視点で読み解き、導いてゆくことができると述べられます。
「機能を運動指導プログラム立案の軸とする」という方法は、奇しくも徒手医学における評価・介入の原理にも重なります。「機能;Function」をキーワードとすることで、高負荷のワークアウトも高齢者への介護予防運動も、どちらも「運動療法」として展開されていると言えます。ここには、これからの筋骨格系の医療現場と運動指導現場とのシームレスな連携の未来形が具現化されています。
医療従事者と運動指導者のさらに広く深い有機的なつながりをめざす徒手医療協会から、まさに今、ニーズの拡大している2つの現場における現在進行形の具体策をインタビューとともに動画でお届けします。
 取材協力・・・CrossFit Roppongi 辻本 愉 先生 (写真左) |  聞き手・・・一般社団法人徒手医療協会 代表理事 古川 容司

今日は辻本さんのキャリアの中から介護予防事業でのご経験をお伺いしたいと思います。初めに、辻本さんの指導されている「介護予防教室」とはどのようなものなのか教えてください。

-辻本 「介護予防教室」では65歳以上の方を対象に週に1回1時間程度、三か月間のレッスンを受けていただいています。日常生活に必要な体力作りや栄養の知識を学んでいただく教室です。
人数は1クラス15名前後ですね。年齢はばらつきがあり、中には90代の方もいらっしゃいます。独歩の方が多いのですが、杖を突かれている方もいらっしゃいます。
機能的には片足開眼起立(歩行時の転倒リスクを調べる指標。2秒の保持ができない場合は転倒のリスクが高いと考える)ができない方も数名混ざるといった感じです。

先生の運動指導へのモチベーションの高さ、原動力は何でしょうか?

-辻本 私は熊本出身で祖父母と生活していました。年に1、2度帰省するのですが帰省の度に元気だった2人の体力が低下していく事がすごくショックでした。転倒での骨折や人工関節の手術などを受け、日常生活も困難な状況でした。
そんな祖父母に対し「いつまでも元気に生活してもらいたい」という気持ちを強く持つようになり、現在は介護事業もクロスフィットも関わるすべての方に祖父母に対するものと同じ気持ちで取り組んでいます。

介護予防事業に取り組むまでの経緯をお聞かせください。

-辻本 ジムのトレーナーとして働いていたのですが、会社が新規事業としてデイサービスをスタートしたのが始まりです。当時はデイサービスで機能訓練員として、高齢者への機能訓練を担当していました。

「要介護」の現場から「介護予防」へと移っていったのも会社の意向ですか?

-辻本 いえ、そうではないんです。
デイサービスにいらっしゃるのは介護が必要なレベルの方々です。そうした方も運動することである程度の改善はみられるんですが、ちょっとお休みされると元に戻ってしまうんですよね。元々運動に対して乗り気でない方も多かった事もありますが、もっと早い段階で運動介入を始める必要を感じまして、それが出来る介護予防に興味を持ったんです。

介護予防教室のクライアントさんはデイケアにいらしていたクライアントさんたちより健康に対する意識は高いですか?

-辻本 教室にいらっしゃる方々はトレーニングや栄養について本やテレビで見たり聞いたりして、自分なりに意識して取り組まれてる方が多かったです。ただ、運動の際の間違ったフォームや食事に対する極度な制限を行う方も多かったですね。その場合、僕にできる範囲の正しい方法を指導させていただきました。

介護予防教室での運動指導を通じて興味深く感じるクライアントの変化があればお聞かせください。

-辻本 介護予防教室での指導を始めると、関節の「痛み」が改善される方が多いんです。はじめのころには皆さんなにがしかの痛み、特に膝の痛みを訴えていた方が多かったのですが、3か月後には痛みから解放されていたという事例が多くみられました。治療を施したわけではなかったのに運動に取り組むことで痛みを訴えなくなってゆくのは面白い現象だなと思いましたね。

それはなぜだと考えられていますか?

-辻本 痛みを抱えている方はどの方も間違った動作を日常で繰り返していました。そもそも、間違った動作をしているという自覚がないといった方が正しいかもしれません。「無理のない正しい動き」を知らないから、間違った動作を繰り返すことで関節を痛めていると考えました。ですから、正しいフォームを知っていただくことに指導のウエイトを割くようにしています。
また一方で、痛いから動かなくなり、動かないから体力が落ちるという負のスパイラルに陥ってしまうんだということにも気づきました。そこから教室の役割を、教室に来て身体を鍛えるのではなく、自分自身で行える運動の知識を学び、自分の身体を自分で鍛える方法を学んでいただく場所と位置付けるようになりました。そうすることで生涯健康で自立した生活を送っていただけるようになると確信しています。

介護予防としての運動指導が「痛み」の改善につながったというお話、非常に興味深いですね。具体的にどのような運動をされたのか、ご紹介いただけますでしょうか?

-辻本 教室でやっていることはすごくシンプルです。自宅でも行える運動としてチェアスクワットを指導しています。ごく普通のチェアスクワットなんですが、「正しいフォームを目指すこと」に注意を注ぎます。正しいフォームができるようになるにつれて多くの方が膝を痛がらなくなります。

「正しいフォーム」を引き出すために、具体的にはどのような指導をされたのでしょうか?

徒手医療協会|転ばぬ先の杖~介護予防の現場に学ぶ、運動療法の可能性と運動のもつ治療的意義~

-辻本 具体的にお話しすると、膝の痛む方は椅子からの起立の際に膝を内にあおってニーインさせたり両膝を一方向へ倒して立ってしまったり(一方のニーイン、もう一方のニーアウト)と、本来の膝の構造に沿わない立ち方が染みついてしまっています。

まずそこを意識的に変えることから始めます。膝を内や外にあおらないようにフォームを意識して練習します。立ち上がる力の足りない方は腕も使ってもらいます。

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どのエクササイズにも結果につなげるためには「フォームが大切」だという意識づけをします。それから、自宅でも継続していただくことが大事ですので、教室で運動している動作が日常生活に直結していることなどを合わせて説明するようにしてモチベーションを高める工夫もしています。

-実践方法-

(写真1・2・3)クライアントの足幅は腰幅とする。指導者は手をクライアントの膝の間に置き、手に触れずに立ち上がるよう指示する

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写真1

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写真2

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写真3
(写真4・5)膝を閉じて立ち上がる癖を持つクライアントも指導者の手に膝が触れることで動作の誤りを認識することができる。また、膝の位置を意識させることで代償動作を是正する訓練を積ませることができる

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写真4

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写真5

-指導実践動画-

▶サポーテッドチェアスクワット指導01

▶サポーテッドチェアスクワット指導02

なるほど、膝関節の側方への揺動を抑える意識づけをもって反復することで、膝関節の動的な安定に必要な筋群の強化、骨運動全域で靭帯や関節面などの構造を傷付けない位置関係で関節をコントロールするコーディネーションの再獲得、そして関節運動を制限する軟部組織の短縮の解放も同時に起こる。つまり、関節機能障害の構成因子を軒並み是正することができている。まさに運動療法そのものです。その効果を引き出すキーワードが「フォームへの意識」なのですね。
教室での運動指導が機能回復と除痛につながったのは辻本先生の「動きの正しさを見極める眼」の精度の高さによるものではないかとお見受けしますが、先生はどのようにして「動きの正しさ」を判断する「眼」を養ったのでしょうか?

-辻本 普段のトレーニングを通じて、何が無理のないフォームなのかを身体で学んできました。そこに機能解剖などの知識による裏付けをしてゆきます。

なるほど。実際の経験を通じて得た答えと機能解剖等の知識をすり合わせていったんですね。自身のトレーニングの中での試行錯誤から「この方法のほうが無理なく大きな重量が扱える」ということを知って、「それはなぜか?」という疑問から医科学的知識による解釈に落とし込む。そんな感じでしょうか?

-辻本 そうですね。実践から学ぶことはとても多いと思いますし、何よりも、嘘がないと思います。

たしかに、知識先行だと机上の空論におちいりやすいですからね。「現実から学ぶ」。非常に興味深いお話です。

-辻本 他にも、床からの立ち上がりに「バーピー」も指導しています。

-バーピー指導実践動画-
▶「通常のバーピー」

▶「低体力者への指導に用いたバーピー」

これは何のために行うのですか?

-辻本 日本人は床の生活が基本ですから、休むのはベッドではなくて布団の上です。ですから、床からの立ち上がりができなくなると寝てばかりの生活になってしまいます。そうなると身体が弱って介護生活へどんどん近づいてしまいます。
そうした時期(床からの立ち上がりがむずかしい体力水準に差し掛かった時期)に差し掛かったらベッドの生活、椅子の生活に変えるのももちろん大切ですが、床からの運動ができるうちはしっかりその機能を維持したほうがいい。その方が人間らしい生活が維持できますから。

ご指摘の通り、高齢者の運動能力の推移を欧米式の生活と日本式の生活で比較すると、欧米式の-つまりベッドと椅子の生活-のほうが寝たきりになる時期は先送りになるといいます。そしてその理由は、「ベッドと椅子の生活」の運動強度にあるとされています。ベッドや椅子からの立ち上がりには、さほど強い力が必要ないので楽に立ち上がることができます。ですから、脚が弱ってきても「立って歩く」という動作をそれまで通り繰り返すことができます。そうすることで歩行機能は保たれますから、自立した生活を送れる期間が長く保たれるんですね。
これに対して日本式の生活では、先生のおっしゃる通り「布団」での寝起きが基本ですよね。床からの立ち上がりには結構な筋力が必要です。これができなくなると人の手を借りないと布団から起きれなくなる。こうなると自然と横になったままの時間が増えてくる。日常での活動量が一気に減るので廃用性の萎縮がぐっと進み、じきに寝付いてしまうという筋書きです。そうはいっても、そこで欧米式がすべてにおいて優れているのかというと、そうではないんです。日本式の生活を送っているグループは床からの立ち上がりができている時期においては、欧米式の生活を送っているグループよりも体力水準は高いんだそうです。それは日常的に強度の高い運動が繰り返されているからです。
当然のことながら、体力水準が高い方が活発に多様な活動を行うことができます。活発に動けるということは、機能的な選択肢が広いということです。余暇活動を含め、よりアクティブに人生を謳歌ができるのも、体力水準のより高いグループということになります。この話は、本来、どちらの生活様式が優れているかという単純な比較ではなく、必要以上の機能低下を避けるためには、その時どきの体力水準に応じた生活環境を選ぶ必要性があるよね、という話です。
でも、日常でくり返し使っている能力は年齢を重ねても保たれる傾向がありますから、床からの立ち上がりができているうちに積極的にその機能を鍛えるのは「健康余命の延長」、「人らしい生活の維持」に役立つんだ、ということを理解するヒントにもなりますね。うかがうお話の一つ一つが、実に理にかなっていて納得です。
最後に辻本さんが高齢者への運動指導の目指すゴールを教えてください。

-辻本 全国の皆さんが日常生活で元気に動ける、働ける、生涯健康で笑顔でいられるようなお手伝いが出来ることが目標です。とても残念なことですが、人生に終わりは必ず来ます。その日を寝たきりの状態で迎えてほしくはないなって思うんです。私がお手伝いした方々が、その時まで自立した生活ができていたならそれが私の目指すゴールです。

貴重なお話をありがとうございました。

編集後記
辻本先生の運動指導を実際に体験すると、シンプルな動作の中に機能回復のためのきめ細やかな配慮がなされている点におどろかされます。目的とする運動に対して筋力の不足や可動制限があることで代償動作が現れます。「代償動作」は関節やその支持組織に生じる負荷の分散が効率的に行えない動作と言いかえることができます。そして、そうした運動はいずれ関節構造の破綻へとつながってしまいます。
それを辻本先生は、関節構造上、無理のない動きへと巧みに導いてゆかれました。その指導はまさに運動療法そのもの。シンプルな動作を「運動療法」たらしめているものは何でしょうか。
先生の指導は、クライアントがランダムに表現する「正しい動きに似て非なるフォーム」を見逃さず、的確な指示のもと、それを是正してゆきます。そのような指導スタイルがどのように確立されているのか。それは、辻本先生の「動きの良し・悪しを見る眼」の良さにありそうです。代償動作への判断能力の高さが基盤となって動きをみる眼が養われているのです。
その眼を、辻本先生は身体で学んだといいます。
「日々のトレーニングを通じて、どう動けば無理なくより高い負荷を克服できるのか。」
「ケガにつながってしまう動きの原因はなんだろうか。どう動いてしまうと、どのようなケガが待っているのか。」
そうしたトライアル&エラーを通じて、正しい動きへの判断力は洗練されてゆきます。これと並行して、知識と現実とのすり合わせをおこなう。まさに現場に学び、現場に還元しているからこそ、高い結果を出されているのです。
徒手医学においても、現場の現象を的確にとらえ、それにともなった知識の集積を行うのが良い学び方であると私は思います。
「こうしたら上手くいった」「こうしたら上手くゆかない」という経験、それに対して「なぜだろう?」という疑問を常にいだくこと。その答えを、医療従事者であるわたしたちは、解剖学や生理学、運動学、病理学に求めるわけです。
実体験による内観と知識を照らし合わせて目の前の現象を理解してゆく、こういった過程を経た「学び」は、非常に現実的で立体的な理解をもたらします。目の前で起こっている事象に対する立体的な理解は、治療において応用力に富んだ実践性の高い知識となります。逆に、多くの知識を備えていても、それが現状に対応できる立体的な理解にまで到達していなければその知識は言葉遊びに終わってしまいます。そればかりか、知識が治療の足を引っ張ることすらあるので注意が必要です。
結果につながる仕事をするために大切なのは、五感を通して「診て、触って、わかる」ことと、集積した知識による理論的な肉付けがおこなえること。これは現実におこっている事象を理解するための両輪であり、治療をおこなう上での土台であると、私は思います。
辻本先生からうかがったお話は、私たちが臨床でぶつかる壁を超えるための大きなヒントを投げかけてくれました。治療家は、施術に対する即時効果に目を奪われがちですが、クライアントが故障から解放されて日常生活に戻られることをその至上の結果とするならば、持続的で安定した効果の獲得に向けた治療戦略を持つ必要があります。そして、その一手となるのが「ストレングス」(※「コーディネーション」の改善を伴う必要がありますので、厳密にいうならば「複合動作によるストレングス」)だということを、辻本先生の経験は力強く物語っています。
辻本先生の指導する介護予防教室での3か月、そこで現れる関節痛の消失や緩和といった効果は、ポテンシャルの向上に裏打ちされたもので、即時効果ではなく中長期的な効果です。そうした運動の効能はクライアントの身体に刻み込まれ、しっかりと定着してくれるものであることは想像にかたくありません。
このインタビューを通じて、運動のもつ治療的意義について一人でも多くの先生に気づいていただけたら嬉しく思います。「今の現場では運動指導は受け入れられない」という声も聞こえてきそうですが、その認識自体を変えることの意義は計り知れないと思います。常識からは意外と思われる取り組みも、物事の理:ことわりに外れておらず、道理にかなったことであれば、その意義に気づく人が出てきます。そして、個々の意識が変わることで全体の潮流が変わるでしょう。いまは非常識な話でも、それは、明日の常識にすることだってできるんです。
日々の臨床に、より深い意味をもたらすために「先駆け」ましょう。そして、効率的な「運動」とはなにかを理解するために、施術者自身の気づきを得るために、まずはBIG3(基本のバーベルトレーニング種目)から始めてみることをみなさんにお勧めして、本インタビューを締めくくりたいと思います。

文責:一般社団法人徒手医療協会 代表 古川容司


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